テガラヒストリー history

テガラは1991年の創業以来、開発者、研究者様のニーズに沿った
コンピューターシステムの提供のノウハウを積み重ねてきました。

1991

静岡県浜松市にてテガラ創業。本拠地を浜松市砂山町に構える

当初はパッケージソフトウェア「INFOSCOPE」 「Qucik-IPC」の開発や、ソフトウェアの受託開発からスタートする

テガラの開発したソフトウェア パーソナル情報ツール【INFOSCOPE】

※上記画像クリックで当時のカタログをご覧いただけます
(PDFダウンロード)

このころテガラ初期の赤三角ロゴが制定されました

1993

アメリカからAT互換機を輸入し、大手メーカーの技術者へ納入。同時期より DOS/Vパソコンの組立販売をスタートする

1995

ソフトウェア開発よりもハードウェア提供の比重が高まるようになる

事務所を浜松市紺屋町に移転し、PCパーツショップをオープンする

自作ブームに乗り、PCパーツショップを開業

1997

小型パソコン「TEGSTAR-Slim」(1,000ドルパソコン)発売。 以後オリジナルパソコン「TEGSTAR」シリーズを継続して展開

最初のテグスター【TEGSTAR- Slim】

2000

山形市城西町4丁目に山形支店開設。地元の国立大学と取引開始

開設当初の山形支店。ショップ名はひらがなでした

2003

海外製品調達サービス「ユニポス」をスタート。 海外からの仕入ノウハウを蓄積する
以後、全国の開発者、研究者の方へユーザーを拡大する
ユニポス

2004

浜松の大手企業、ベンチャー企業を中心に、産業機器の制御用など産業用パソコンの納入が増加する

2006

各ショップを閉店し、法人向けのサービスに特化

2010

産業用PC製作専門WEBサイト「産業PCおてがら屋」オープン。PC製作サービスを全国に向け展開する

産業PCおてがら屋

新企業ロゴの策定

テガラ

2011

2011年6月1日 テガラ株式会社 創立 20周年を迎える

2012

山形市緑町4丁目に現在の山形支店 自社ビルを竣工・移転

テガラ株式会社 山形支店

日本一の芋煮会フェスティバルの会場となる馬見ヶ崎川沿いに位置しています

山形支店「山形いきいき・子育て応援企業」に登録

女性の活躍推進と、仕事と家庭の両立支援に取り組んでいます

2013

科学技術計算用 高性能ワークステーション「RADICシリーズ」の販売を開始

RADIC

2016

2016年6月1日 テガラ株式会社 創立 25周年を迎える

Anniversary

2018

「産業PCおてがら屋」「研究PCおてがら屋」の2つを統合し、研究用・産業用PCの製作・販売サービス「テグシス」としてWEBサイトをリニューアルオープン

テグシス

2020

研究開発の "てがかり" を発信するWEBメディア「テガカリ」をオープン

テガカリ

テガラの提供するサービスや取扱い製品に関する「総合サポートサイト」をオープン

テガラサポートサイト

YouTubeチャンネルを開設し、取り扱い製品の紹介動画を配信

2021

2021年6月 テガラ株式会社 創立 30周年を迎える

コーポレートサイト をリニューアル

2023

浜松市東三方町に現在の本社自社ビルを竣工・移転

テガラ株式会社 本社

PC メーカーとしての工場、技術検証のためのラボ、物流倉庫、オフィス部門が包括されています

研究開発向けのターンキーシステムを構築・提供する「TKS 事業部」を新設

テガラ株式会社 TKS事業部

取締役社長に佐藤 麗佳が就任、創業者 佐藤 俊彦は代表取締役会長に

各種学術大会(学会)へのブース参加を精力的に実施

2024

「えるぼし」認定 (三ツ星)を取得

女性の活躍推進に関する取り組みが、優良企業として認められました

テガラは今後ともお客様の研究開発のお手伝いをすべく、日々進化してまいります。

創業ストーリー

テガラは1991年6月に、チャレンジングな3人- 佐藤 俊彦 (現会長)とふたりのカナダ人(エーガー ロジャー タッド、テブス マレー シンクレア)とにより創設されました。3人は1990年初めに出会い、親交を深める中でその年の夏頃から3人共同で行うビジネスの可能性とプランについてミーティングを進めていました。 パソコンを軸とすることに決めたのは、3人ともパソコンに興味があったこと、とくにビジネスの分野におけるパソコンの将来性に注目していたこと、日本やカナダのメーカーや会計事務所などで各自がそれまでに従事してきたソフトウェア、ハードウェアの開発、コンサルテーション等の経験を活かせること、といった理由からでした。また日米双方のビジネスや情報に通じているという点においても、独自のビジネスをスタートできると考えました。

まさにこの頃、アメリカではマイクロソフト社からリリースされたMS-Windows3.1が評判になっており、パソコンが本格的にビジネスの世界で使われ始めるようになる時代、本格的なGUI(グラフィカル ユーザーインタフェイス)時代が始まろうとしていました。また1990年秋に日本IBMからDOS/Vが発表されました。DOS/Vという世界標準(オープンアーキテクチャ)のPC/AT互換機上で日本語環境(2バイトコード)をソフト的に実現するという新しいアイデアの出現は、日本のPC環境が世界標準への幕開けとなるものでした。テガラはまさにこのような絶好のタイミングで、DOS/V黎明期からその将来性を確信し、世界標準PCを自分達のビジネスの中心にすることを目標にスタートアップしました。

この当時、パソコンのハードウェアの価格と性能、ソフトウェアの価格と機能、利用のされ方などすべての面にわたって、日米の格差が非常に大きかったのですが、その格差すら日本ではあまり知られていないという状況でした。 例えば最新のi486/66MHzマシンがアメリカで発売になったこの頃、日本ではようやくN社のi486/16MHzマシンが同じくらいの価格で発売になるというような状況でした。ハードウェアのコストパフォーマンスでいえば4倍くらいの格差がありました。またパソコンの普及率、利用率の点でも4-5年は遅れていると言われていました。日本では長い間パソコンといえばN社の「9801」を指すような時代が続いていました。CPUが非力な時代に漢字(2バイトコード)を表示するという特殊性から「ローカルなハード仕様」にならざるを得なかったという事情はあるにしても、あまりにも長期にわたる1社の寡占状態の悪影響は否めませんでした。 世界では健全な市場競争の下で多くの互換パソコンメーカー、パーツメーカーがより良く、より安く、より競争力のある製品を目指して開発、販売競争を行っていました。これに対して日本は長年「パソコン鎖国」の状態にあったようなものと言えます。そしてDOS/Vは、いよいよの「黒船登場」でした。

テガラ創立当初は、日米間で相対的な価格差、性能差がかなり大きかったパソコンをアメリカから直接輸入、DOS/Vで日本語環境をセットアップして非常にハイスペックかつコストパフォーマンスの高いパソコンを日本のユーザーに提供して参りました。このため、とくに開発用ハイスペックマシンを必要とする開発技術者、方々に長年ご愛顧いただいてきました。またアメリカやそれ以外の国で発表されたばかりの新技術情報をいち早く収集し提供することや、まだ国内では入手できないようなパーツやアプリケーションソフトの新製品をいち早く入手し提供することなどを通して、技術開発のお手伝いやサポートを行ってまいりました。

現在のテガラは、産業用PCおよび研究用PCの製造販売、専門的かつユニークな海外製品の調達およびそれらの製品にかかわるサポートを主要業務としています。これらの業務は、すべてテガラのスタートアップ時から一貫して継続してきたことです。つまり、テガラの本質は、創業当時から何も変わっていません。「研究開発を加速するお手伝い」という標語を掲げ、研究・開発の現場で必要とされるコンピュータ関連のツールを国内外にわたって探し、調達し、製作し、提供することにより、研究・開発者ひとりひとりのお客様のお役に立つこと、ひいては日本および世界の研究・開発の推進をお手伝いすることがテガラの存在意義と考えています。